昭和10年12月(1935年) 青森県弘前市紺屋町にて生まれる <0歳>

昭和11年01月(1936年) 1月10日生まれとして届出    <0歳>

昭和12年   (1937年) 五所川原に転居         <1歳>

昭和13年   (1938年) 浪岡に転居           <2歳>

昭和14年   (1939年) 青森市に転居 (居住地不明)  <3~4歳>

昭和16年   (1941年) 八戸市に転居

昭和16年7月 (1941年) 父、出征のため、母と二人で青森市へ転居<5歳>

              <居住地:青森市浦町字橋本の旧線路通り>

昭和初期頃の青森県立病院前(現在の青森市役所)

県立病院隣(写真奥側)に建つ

青森信託会社の右隣(南側)に 聖マリア幼稚園がありました。

ここで寺山修司は「基督降誕劇」を上演。羊飼いの役を演じたそうです。※戦後国道4号線は拡張工事を行っているため、場所は少しずれていると思われます。

都会っ子そのもの 稲田ヨシエ/元聖マリア幼稚園教諭


「修司君はくりくりした目の、人なっこい笑顔の可愛い子で、上下お揃いのこげ茶の縞子の背広姿、その短い半ズボン姿が長身の彼によく似合い、都会っ子そのもので、すごく印象に残っております。

 短い園生活でしたが、在園児とまるで以前から知っている友達のように、自分からすすんで仲間に入り、小さい子供たちにも親切で世話好きで、途中から入ってきた子供とは思われない程、周囲の雰囲気に早くとけこみ、皆と仲良くあそぶ、社交性の豊かな活動的な、朗らかな子供でした。」

(別冊太陽 日本のこころ-207 寺山修司 天才か怪物か 7 より引用)

現在の聖マリア幼稚園跡

※戦後もここで幼稚園を再建し、運営してたそうですが、現在は移転し跡地は

「タカラ青森研修センター」になっております。

(2013年11月撮影)

 寺山修司は、父不在の淋しい気持ちを紛らわすかのように、楽しそうに聖マリア幼稚園に通った。キンダ-ブックなど絵本を読むのは大好きなのだが、シューベルトの「軍隊行進曲」などリズム楽器の演奏は、いやいやながらしていたという。日曜日には国道浦町の聖アンドレ教会の日曜学校にも足を運んだ。この頃の日曜学校では、出席した子にカラフルに着色したゆで卵をくれるので、園児達に人気があったのだという。

(志功・太宰・寺山と歩くふるさとの青森 青森市文化団体協議会・編より引用)

※聖マリア幼稚園は聖アンドレ教会の付属幼稚園。