青森製氷株式会社

青森市本町3-4-17

(旧新浜町付近)

青森製氷株式会社

「大正9(1920)年10月20日に氷の生産を始めた。

それ以前は、函館から運ぶか天然氷を氷室に保管して使うほかなかった。その為魚屋・漁業関係者が出資して設立した。

 現在は魚の水揚げも減り、需要が少なくなったため、年平均の稼働率は30~35%程度で、余った氷は貯蔵して工場を休ませている。

 かつて工場は2棟並んであったが、現在は西側の1棟が残っている。氷は48時間かけ透明な角氷(1個135kg)が作られている。

 工場の石材は野内産凝灰岩で、隙間なく積み上げられている。」

(参考資料:青森県立郷土館研究紀要 第34号「あおもりまちかど探偵団」報告書)

 

「新浜町には、青森県内での優良会社、青森製氷会社がある、青森製氷会社は、大正10年の創立で、青森魚市場の人々の出資で設立し、日産80トンの製氷能力を有する東北一を誇る会社である、戦災後、旧郵便局県舎敷地を買収し、貯水庫に改造し今日に至っている。」

(参考資料:青森市町内盛衰記)

 絵は「青森パノラマ地図(大正13年発行)」より

 

青森県立郷土館ー旧館(旧青森銀行本店)

青森市本町2-8-14

(旧大町付近)

青森県立郷土館ー旧館

【沿 革】

●昭和6年11月24日 株式会社第五十九銀行青森支店として新築落成。
●昭和18年10月1日 五行合併により青森銀行本店となる。
●昭和20年7月28日 青森空襲の際、市内の建築物がほとんど焼失するなか、類焼を免れる。
●昭和45年7月20日 青森銀行本店は青森市橋本に新築移転。その後、旧本店の建物は県へ寄贈される。

(参考資料:青森県立郷土館ブログ http://kyodokan.exblog.jp/11304997)

青森県立郷土館ー旧館(旧青森銀行本店)

 旧第五十九銀行青森支店として、昭和6(1931)年竣工した。

 設計は堀江佐吉の七男・堀江幸治が担当した。堀江佐吉は、弘前の旧第五十九銀行本店(国重要文化財)や、五所川原市金木の斜陽館(国重要文化財)等多くの洋館を手掛けたことで知られている。その後青森銀行本店を経て昭和48(1973)年からは、青森県立郷土館大ホール(特別展示室)として、特別展・企画展展示会場となっている。吹き抜け構造を支える円柱上部から天井にかけて、見事な鏝絵(こてえ)が施され、階段の石材(蛇灰岩・大理石)や手摺り下の透かし窓、ブナ材の床面などに、当時の洋館風建築を感じ取ることができる。平成16(2005)年には、国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。

(参考資料:青森県立郷土館研究紀要 第34号「あおもりまちかど探偵団」報告書)

 

タカラ住宅機器ショールーム

(青森信託株式会社営業所)

青森市中央1-23-1

(旧浦町付近?)

旧青森信託株式会社営業所

(現在のタカラ住宅機器ショールーム)

後に丸和デパート⇒中央公民館⇒ワダカンセンター⇒タカラ住宅機器ショールーム

 

孔雀苑(旧日本勧業銀行)

青森市本町2-10-12

(旧米町付近)

日本勧業銀行青森支店

竣工:昭和10年

設計:日本勧業銀行(営繕課?)

施工:戸田組 戸田利兵衛

参考資料「建築雑誌601号(昭和10年7月)」より

 

周りを囲む煉瓦塀はそれ以前の「青森銀行」か「青森農工銀行」時代の遺構と思われます。

参考資料「青森県農工銀行沿革史(近代デジタルライブラリー)大正7年発行」より 

※上記参考資料は「ヤフーブログ・グズグズ様よりご提供頂きました。」

http://blogs.yahoo.co.jp/guzu110304/12640364.html

 

参考資料「第一勧銀 青森支店の歴史(発行者 石村辰之助)」

孔雀苑(旧日本勧業銀行)

 大正12(1923)年、青森県農工銀行が日本勧業銀行と合併し、日本勧業銀行青森支店となった。また青森支店に金庫を設置した渡辺設計事務所のHPによると、大正14(1925)年設置となっているので、このあたりが竣工年と考えられる。戦災を免れたが、道路拡張により東側半分が削られ新町に移動、家具屋さんの倉庫を経て孔雀苑になった。現オーナーは、厚く堅い壁なので配線・配管は中を通せず不便だが、古き良きものを大事にしたいと話してくれた。店内にはバラの花模様のような鏝絵(こてえ)や、天井裏に吹き抜けの天井ドームが残っている。

(参考資料:青森県立郷土館研究紀要 第34号「あおもりまちかど探偵団」報告書)